敵は本囶寺にあり!!!

名古屋の中心街だと絶対分からない忍者的歴史秘話を。ふふふふ。

そもそもこの荒島岳の頂上の祠の影の石積の塔には、南無妙法蓮華経と彫られていて、北陸でも法華経が山岳信仰と結びついていたことは明白だ。 霊鷲山で説かれたのだから。 そして、行者になれない女のために、方便としての極楽浄土があり、 阿弥陀の誓願が発…

そもそも念仏は称えるのでなく聞くものだった・・

そもそも、大谷派以外にはあまり、親鸞が聞いた女犯ゲの和讃のようなリズムは伝わってない。親鸞は山を降りる前、千日回峰の前行である常行三昧の堂僧である。 ▼北陸荒島岳下山時の夕暮れ みい だあ だい ひの おんどくを ふうかくしんぜん ひとはみな おく…

風に吹っ飛んで 拙訳

Blowin' in the wind 風に吹っ飛んで 作詞: Bob Dylan 拙訳 How many roads must a man walk down どれだけの道を歩いたら Before you call him a man? 男と、認められるの? How many seas must a white dove sail どれだけ鳩が海渡り Before she sleeps in…

その答えは風の中、風に吹っ飛んでる・・

ノーベル文学賞に決まったボブ・ディランの、有名なBlowing in the Windの風は、そよ風のbreeze では無いのだから、9日に甲斐駒が岳の頂上近くで体験した、体が吹っ飛ぶ感じの風に違いない。 ディラン自身が、答えをしたり顔で言う人に対して、「そんなヒッ…

南アルプス仙丈ヶ岳にて

それにしても、南アルプスの仙丈ヶ岳頂上付近、標高3033mにもある、この修験道の行者の遺物は、いかに日本の登山道が熊野修験と結びついてできたかが分かる。那智山青岸渡寺とあるこの卒塔婆の横の石仏は手にロープを持っている。 こういう世界を「霊前浄土…

南木曽岳登山道は妻籠の裏なのだが、入道する人は少ない!・・

高校時代にキャンプをはっていたことがある南木曽岳のキャンプ場に行くと、あまりに変わっていて、林道は覚えているのですが、さびれていて、工事中で迂回路ができている登山道入り口を見つけ、確認するのに半日かかりました。妻籠の宿の近くなんですが。 ど…

親鸞の流罪ルートは春なので雪を避け、北陸でなく三河ルートである!

そもそも親鸞が越後の国府に流された時、北陸を通ったことはありえない。東海地方を経由したに決まっているのである。 なぜならば、流罪になったのは下記の正明伝のとおり春であって、3~4月に北陸の加賀から富山を通ることは、国境の豪雪によって、鎌倉時…

横川定光院にいた日蓮の方が、朝法華夕念仏の元三大師や恵心僧都に近い

▲琵琶湖湖畔にある元三大師ゆかりのお寺 一方、比叡山の通常、恵心僧都がこもっていた天台浄土教の聖地であることで有名な、横川にいたのは、日蓮の方です。彼が横川の定光院にいたのは有名です。 横川はもともと元三大師良源が開いた比叡山の東塔や西塔から…

京都から琵琶湖まで縦走して気づく比叡山時代の親鸞の立脚点

▲無動寺谷に降りる山道から見た琵琶湖 6月6日、つゆの最中の晴れの日に修学院の裏のきらら坂から琵琶湖まで縦走しました。 すると発見したのは、親鸞が妻帯をすべきという、六角堂の夢告の前に密行をしていたと正明伝に伝わる無動寺谷が、東塔の南のケーブル…

御在所岳にでも登ったら法華経の意図が分かるのでは??

実際、法華経は霊ジュ山で説かれたのであるから、素直に読めば、地湧の菩薩とは、下の写真の御在所のキレットのようなV字の岩場や地面を、3点登攀で登り降りする行者のイメージが源泉にあるとしか思われません。そもそも釈尊はネパールからインドの平野に…

本来の法華経は山科毘沙門堂のように神仏習合の山寺たるべきだ!

4月9日に、高校時代の友人らと山科毘沙門堂に行った。この寺は、家康の宗教顧問天台宗の天海大僧正が作った寺で本堂の中は、文化財だらけの門跡寺院でものすごい。 中でも法華経を納経した宝塔のケースなんぞがあり、神仏習合していて、皇室が入ることになっ…

秀吉の正妻、高台院ねねは土葬だ!

さて、ここで上の写真のもみじがきれいな、京都高台寺のお堂の中に、秀吉の正妻ねねが土葬されているのをご存じだろうか? 寺の解説によると、ねねは最初、曹洞宗だったのだが、家康の知り合いの三河の出身の和尚によって、臨済禅に鞍替えしており、結局、藤…

本能寺は四条門流。本囶寺は六条門流。

http://www.kyoto-honnouji.jp/about/nobunaga.html そもそも本能寺は、現在の京都の四条元本能寺町にあった。 織田信長は本能寺の変の時、なぜこの寺に泊まっていたのかと言えば、上記URLをクリックすると分かるとおり、日承上人に帰依していた。法華宗…

敵は本囶寺にあり!!(本能寺ではないぞ光秀!!!)

愛知県について意外と知られていない事実。それは、名古屋が家康の時代、清洲にあった町を移転してできた城下町なことは知られているが、もともと清洲城が、応仁の乱の時の斯波義廉・義敏公の尾張屋敷であって、乱の後に起きた本願寺継承戦争&天文・法華の…