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敵は本囶寺にあり!!!

名古屋の中心街だと絶対分からない忍者的歴史秘話を。ふふふふ。

秀吉の正妻、高台院ねねは土葬だ!

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さて、ここで上の写真のもみじがきれいな、京都高台寺のお堂の中に、秀吉の正妻ねねが土葬されているのをご存じだろうか?

寺の解説によると、ねねは最初、曹洞宗だったのだが、家康の知り合いの三河の出身の和尚によって、臨済禅に鞍替えしており、結局、藤吉郎の親戚の木下家定とこの地に土葬された。

実は、浄土真宗が火葬を白骨の御文とともに流行らせる以前は、日本で火葬を行う人は少なかった。どうも臨済禅の人は、死んだら土に帰るという考え方で、木の肥やしになるのが自然だと考えていたらしい。

すなわち1575年、蓮如が現在の石川県と福井県の境の吉崎御坊で、2人目の妻、蓮佑を追悼し、合わせて禅寺に出していたが応仁の乱による戦乱で飢えて病気になり、結局吉崎に引き取られて死んだ、かわいそうな娘の見玉ちゃん追悼葬儀の法事が、日本史上、はじめて庶民が行った火葬&お葬式である。

その後も江戸時代に浄土真宗が、寺請制度とあいまって火葬を城下町で広めていった以前は、薪代がかかったせいもあって、火葬は広まっていなかった。

よって、高台寺から南の下の霊山観音の背後の阿弥陀山にかけては、江戸時代以前は無数の人が葬られ、現在東山の木々に生まれ変わっているとも言える。実際このあたりの東山の麓は、墓だらけのオカルトな場所である。

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