本来の法華経は山科毘沙門堂のように神仏習合の山寺たるべきだ!
4月9日に、高校時代の友人らと山科毘沙門堂に行った。この寺は、家康の宗教顧問天台宗の天海大僧正が作った寺で本堂の中は、文化財だらけの門跡寺院でものすごい。
中でも法華経を納経した宝塔のケースなんぞがあり、神仏習合していて、皇室が入ることになっていた寺だけに大変な山寺である。
この寺の入口までは、しっかり駅からハイキングしなければならず、琵琶湖疎水沿いにこの寺の麓から歩くと、天智天皇陵の北に西本願寺の北で倒壊していおり昭和44年に移転された再建日蓮宗本囶寺がある。
法華経系の檀家の方は、このあたりをぜひ訪れるとよいだろう。住職と話すと天海と会った時家康がもっと早く会いたかったと言っていたが、なぜだろうと考えているとおっしゃっていられたので、三河の大谷派に伝わる伝承では、晩年の家康が神道と仏教の対立に悩んでいたこと。神仏習合にするならばどうなるのか悩んでいたらしいので、天海のこうした神仏習合が回答になったのではないかと言うと、なるほどとおっしゃっておられました。
実際、一向宗のように仏教=葬式、神道=伊勢神宮=おめでたと割り切れれば問題はないのだが、現世利益を求めたい三河から東の人にとっては、別の御利益と結びついたお寺の形が必要だ。そこに、寛永寺のような神仏習合の形が必要となり、神仏習合の天台宗の東照宮のようなあり方は、どうやらここから始まったらしい。