敵は本囶寺にあり!!!

名古屋の中心街だと絶対分からない忍者的歴史秘話を。ふふふふ。

そもそも念仏は称えるのでなく聞くものだった・・

そもそも、大谷派以外にはあまり、親鸞が聞いた女犯ゲの和讃のようなリズムは伝わってない。親鸞は山を降りる前、千日回峰の前行である常行三昧の堂僧である。

 

▼北陸荒島岳下山時の夕暮れ

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 みい だあ だい ひの おんどくを

 ふうかくしんぜん ひとはみな

 おくねん のお しん つね に して

 ぶっとん ほおずる おもい ありい

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荒島岳頂上への登り

 

 ぎょうじゃあ しゅく ほう せつ にょほん

 があ じょう ぎょく にょお しん ぴい ぽん

 いっしょう しいけん のう しょう ごん

 りん じゅう いんどう しょう ごくらああく

 

 行者 宿報 設 女犯

 我成 玉女 身 被犯

 一生 之間 能 荘厳

 臨終 引導 生 極楽

 

 これは中国語で読んでも、ピンイン、四声が完全に一致している。

 なむあみだぶつ と 歩きながら、行者は、

 悲願の心を聞いてゆくしかないのだろう。

 法華経では龍女は男性として扱われているではないか、

 山へ登らせろと若いころ迫った女 玉日は

 親鸞が流罪から解かれた時には、

 もう既に死んでいたのだから。